今泉事務所の沿革

 私がもの心付いた時、墨田区太平町(現:太平)にあった二間のアパートの一室が住まい。もう一室を事務所として、父が開業をしていました。 社会保険労務士がまだ国家資格になる以前の事で、当時は労務管理士と社会保険士の二つの民間資格が混在し、イロイロと有った様です。

 やがて父は事務所を外部に借り、社会保険労務士が国家資格となり、葛飾区に引越し、その後現在の場所に事務所兼自宅を構える事になります。

 つまり、私は創業社労士ではなく二代目社労士なのです。

 二代目であるがゆえに、父のことを知る支部の先輩方からは「お前は、まだまだ甘いなぁ・・・」と言われる事も多々ありました。
が、それも私が「駆け出し」の頃のお話。

 ある年金の専門集団に参加した事で、年金の知識を付けると共に、お客様セミナーで「人前で話す」という経験を積みました。
 お陰様で、その経験が後々各種セミナーや講座の講師を担当する等、様々な業務につながります。
失われた年金記録が大きな社会問題になったとき、支部と葛飾区で行った年金セミナーでの講師の様子が「NHK7時のニュース」で取り上げられ 「ゆうどきネットワーク」にスタジオ生出演する等の経験をする事も出来ました。

 また、社労士ネットワークに参加し、人事賃金制度を学ぶ事を通じてエクセルを使用することを覚えました。
 それまでは、ただの「給料計算機」に過ぎなかったNECの98シリーズがPCとして稼動することになり、業務の質が劇的に変化しました。

 一時期、在職老齢年金と高年齢雇用継続給付金とを併用すると、60歳以前よりも給料を下げた方が手取り額が高くなる時代が有りました。 いくらまで下げると手取り額が最大になるのか? のシュミレーションソフトを作成し、ネットワークを通じて販売していた時期も有りましたが、現在では年金支給年齢の引き下げ時代に入り、相対的に効果は薄れてしまいました。

 98シリーズで5インチのペラペラしたFDを2枚差込んで「ガシャガシャ」言わせながらデータのコピーをしていた頃、パソコン通信が始まりました。
 PC雑誌の付録に付いていたソフトを入れて見たものの、最初は「日本語フロントエンドが必要」の意味も判らず、ようやく接続出来てニフティーサーブからのリターンの文字列がモニター画面に表示された時には、感動したのを覚えています。
 それが今ではネットが当たり前の時代。 今や昔話になってしまいました。

 様々な経験を積んで来たお陰で、今でも何とかWPを使用してサイト構築を行い、電子申請にも取り組む事が出来たのだと思います。

 あるとき、事業主の方からこんなご相談を受けたことがあります。

社員を解雇するので立ち会って欲しい。その社員は生活態度も現場の技術者としても落第点だ。
法的な問題のアドバイスが欲しいので、税理士事務所にも依頼している。
その社員は娘婿でもある。冷静に対処できる自信が無いから。

 話し合いの中で「あと二言いったら危ない」と言う厳しい場面がありました。
思わず割って入りました。 終了後、事業主様から「助かったよ。あそこで一言入れてくれなかったら、アイツのこと殴ってた!」と言われたのです。

 本来の業務ではないこの様な際にもご相談いただけたのは、ある面では信頼を頂いていた証なのかなぁ、と感じた場面でもありました。
何度も経験したい場面ではありませんが。

 改めて考えると「二代目社労士」というだけでなく、それなりに自分のポジションを築いてきたのだと感じます。